- 学校で習った英語はどこへ消えたのか|研究が示す「落ちるもの」と「残っているもの」
- 「6年やったのに何も残っていない」——研究はこの実感をどう見ているのか
- 消える側の証拠:使う機会がゼロになった人を調べたら、差が出なかった
- 残る側の証拠:そばで聞いていただけの人は、発音だけが上手だった
- 自覚がゼロでも痕跡は残る:忘れた言語の音は、訓練すると速く戻る
- 食い違いの解き方(1):条件が違う——まるごと入れ替わったのか、痕跡が残っているのか
- 食い違いの解き方(2):落ちるのは「思い出して使う側」、残るのは「聞き分けと慣れ」
- 時間の物差しが違う:数日で単語が抜ける話と、10年20年の話は別物
- では、自分の中に何が残っているのか——棚卸しの見取り図と、研究から言えないこと
- よくある質問
- まとめ
- 参考文献
- この記事を編集した人
学校で習った英語はどこへ消えたのか|研究が示す「落ちるもの」と「残っているもの」

中学高校で6年やったのに、今は何も出てこないんです。

気持ちはわかります。多くの人がそう感じます。ただ研究の答えは一つに定まっていなくて、そこが今日の出発点です。

答えが定まっていない、ってどういうことですか?

消えると報告した研究も、残っていると報告した研究もあるんです。同じ「忘れた」を調べているのに、向きが逆なんですよ。

どっちが本当なんですか。正直、不安になります。

勝ち負けを決める話ではないんです。研究の側は、どんな条件で何が起きるのかを整理する問題として扱っているんですよ。

じゃあ、僕の6年はどう考えればいいんですか?

この記事では研究を順番に並べて、二本の線で整理していきます。読み終わるころには、見方が変わっているはずです。
結論: 「6年やったのに何も残っていない」という実感について、研究の答えは一つに定まっていない。使う機会がゼロになった人を調べた研究では、その言語を知らない人との差が出なかったと報告されている。一方で、思い出せないはずの言語の音に脳が反応し続けていた例や、訓練すると未経験の人より速く聞き分けられるようになった例も報告されている。食い違いは二本の線で解ける。第一に条件、第二に成分だ。思い出して口から出す単語や文法のかたちは落ちやすく、音の聞き分けや慣れは気づかないまま残りやすい。だから学び直しは「全部ゼロから」ではなく、残っている側を見分けることから始まる。
この記事でわかること
- 「使わなければ消える」と「使わなくても残る」で研究の結果が割れている理由
- 使う機会がゼロになった人を調べた研究が示した、冷たいほうの結果
- 「そばで聞いていただけ」の人に発音だけが残っていたという実証
- 落ちる成分と残る成分の線引きと、やり直しの順番への使い方
「6年やったのに何も残っていない」——研究はこの実感をどう見ているのか
中学と高校で6年。人によっては大学でも英語をやった。
それなのに、いざ話そうとすると何も出てこない。あの時間は何だったのか、と思う。
この実感は否定されるべきものではない。
ただ、この実感をめぐって研究の答えは一つに定まっていない。
片方には「使う機会がなくなれば本当に落ちる」という報告がある。もう片方には「気づいていないだけで残っている」という報告がある。
同じ「忘れた」を調べているのに、結論が逆を向いているのだ。
この記事の仕事はただ一つ、この食い違いを解くことにある。どちらが正しいかを決める記事ではない。
どういう条件のときにどちらが起きるのか。そして「忘れた」の中身のうち、何が落ちて何が残るのか。線を引くのがこの記事の役目である。
もう一つ、扱う範囲をはっきりさせておく。ここで見るのは、読者自身の過去の英語がいまどうなっているかだ。
子どもにどう英語をやらせるか、という話は一切扱わない。
そして、実感そのものが当てにならない場合もある。学校で習った言語について、こんな報告がある。
高校を出てから18か月後にもう一度測ったところ、力の落ち込みはテスト上まったく見られなかった。参加者自身は「落ちた」と感じていたにもかかわらず、である。
これは縦断研究 (= 同じ人を何年も追いかけて測る調べ方。定点カメラで同じ場所を撮り続けるようなもの) で得られた結果だ。
太った気がして体重計に乗ったら、数字はまったく変わっていなかった。あの感覚に近い。
ここまでのまとめ: 「何も残っていない」という実感をめぐって、研究の結果は割れている。この記事は勝敗をつけず、条件と成分で線を引く。
消える側の証拠:使う機会がゼロになった人を調べたら、差が出なかった

使わないと本当に消えてしまうんですか?

はい、そこは逃げずに言います。使う機会が完全に途切れた人では、記憶テストでも脳の反応でも差が出なかったと報告されています。
まず、冷たいほうの証拠から見る。
2003年に脳科学の専門誌で出た研究がある。韓国で生まれ、子どものときにフランスの家庭へ養子として迎えられた大人が対象だ。
全員がフランス語に堪能になっており、韓国語については意識の上での記憶がないと申告していた。
そこで韓国語の記憶を測る行動テストが行われた。結果、この人たちの成績は対照群を上回らなかった。
対照群とは、比べる相手のグループのことだ。ここでは「韓国語に一度も触れたことがないフランス語話者」がそれにあたる。
さらに脳の側も調べられた。脳画像 (= 頭の中のどこが働いているかを機械で見る方法。工事現場のどこに人が集まっているかを空から眺めるようなもの) を使った測定だ。
韓国語・フランス語・まったく知らない外国語の文を聞かせる。すると韓国語に対して、未知の外国語とは違う特別な反応が出なかった。
同じ研究グループは、翌年に音の側だけを取り出して調べている。
音の聞き分け (= 似た音を別ものとして区別する耳の力。「しんぶん」と「しんぷん」を分けるあの感覚) の話である。
韓国語には、英語やフランス語にはない子音の区別がある。その聞き取りでも、フランス語話者に対する優位は示されなかった。
消える側の証拠は、記憶テスト・脳画像・音の聞き分けという別々の測り方で一貫している。
ここは逃げずに書いておく。使う機会が完全に途切れれば、言語は本当に落ちうるのだ。
なお、これらの研究が扱っているのは言語がどうなるかという一点である。当事者の人生や選択を評価するものではない。
ここまでのまとめ: 使う機会がゼロになった人では、複数の測り方のどれでも差が出なかったと報告されている。
残る側の証拠:そばで聞いていただけの人は、発音だけが上手だった

聞いていただけでも、何か残るんですか?

残るんですよ。子どものころそばで聞いていただけの人は、大人になって学ぶと発音だけが上手に出たと報告されています。
次に、逆を向いた証拠を見る。
2002年に心理学の専門誌で出た研究がある。子どものころ、家のまわりでスペイン語を日常的に耳にしていた大人が対象だ。
ただし本人は話さなかった。そばで聞いていただけである。
その人たちが大人になってからスペイン語を学ぶと、どうなるか。結果は、聞いていた経験のない学習者より母語話者 (= その言葉で生まれ育った人。日本で育った人の日本語がこれにあたる) に近い発音になった。
隣でずっと見ていた料理に似ている。自分では作れないのに、手つきだけは妙に様になっているのだ。
続報では、大学生を3つのグループに分けて確かめている。スペイン語が母語のバイリンガル (= 2つの言葉で育った人) 15名、子どものころ聞いていた経験のある学習者15名、そうした経験のない学習者15名である。
発音の優位は、いくつもの測り方で確認された。音を機械で分析する方法でも、人が耳で「なまり」を評定する方法でも同じだった。
ここからが重要だ。文法のかたちには、優位がまったく見られなかった。
利点は「音のつくり」にはっきり限定されていたのである。
同じ研究グループは、言語を韓国語に変えても同じ方向の結果を得ている。
さらに関連する報告では、段階差も見えている。
そばで聞いていただけの人は、発音の面が助けられた。子どものころ実際に話していた人は、発音に加えて文法の面でも助けられた。
ただし文法の面では、母語話者には遠く及ばない。
ここで、この記事の核心が顔を出す。残るものと残らないものは、成分ごとに違うのである。
ここまでのまとめ: 子どものころ聞いていただけの人には発音の利点が残り、文法には残らなかった。残り方は成分で違う。
自覚がゼロでも痕跡は残る:忘れた言語の音は、訓練すると速く戻る
「聞いていただけ」ですらなく、完全に忘れてしまった場合はどうか。
2009年の研究が、そこを調べている。幼いころヒンディー語かズールー語に触れ、その後まったく接触が絶たれた英語話者が対象だ。本人には、その言語の記憶がまったくない。
そこに、微妙な音の対比 (= よく似た2つの音の組。「か」と「が」のように紙一重で別ものになる関係) を聞き分ける訓練を行った。すると40歳未満の参加者は、かつて自分が知っていた対比を選んで学び直した。
一方、その言語に触れた経験のない若い対照群は、同じ訓練を受けても学習が見られなかった。訓練そのものが誰にでも効くわけではない、ということだ。
ここで働いているのが暗黙の記憶 (= 思い出せないのに体が覚えていること。何年ぶりでも自転車が倒れないあの感覚) である。
ただし、この研究には読者に直結する条件がある。40歳を超える参加者では、その再学習の効果はまったく見られなかった。
再学習 (= 一度学んだものをもう一度学び直すこと。片づけた道具をまた出して使い始めるイメージ) の効き方に、年齢の線が出たわけだ。
これは伏せずに書いておく。ただし「40歳で終わり」という話ではない。
この研究が扱ったのは、幼少期に触れた言語の微妙な音を再学習させるという特定の課題である。学校で習った英語の学び直し全般を測ったものではない。
同じ方向の報告は他にもある。インドからアメリカへ渡り、生まれたときの言語にほとんど触れていない子ども8名を調べた研究だ。
訓練前は、どちらのグループも目的の音の区別を聞き分けられなかった。ところが訓練を受けると、養子のグループだけが成績を上げた。
ただし参加者は8名と小さい。こういう例が報告されている、という受け取り方が正しい。
規模の大きい報告もある。韓国からオランダへ渡り、韓国語の知識をまったく持たない大人29名を、条件をそろえた29名と比べた研究だ。
短期間の集中訓練のあと、この人たちは対照群より速く韓国語の子音の区別を身につけた。しかも訓練していない子音にも、その区別を広げて使えている。
脳の側からの報告もある。生後まもなく中国語から切り離され、その言語の記憶を持たない子どもを調べたものだ。
中国語の要素に対するこの子どもたちの脳の活動は、中国語母語話者の活動と一致した。全員がまったく同じ音を聞いているのに、中国語に触れたことのない人とは反応が違ったのである。
消したはずのデータが、機械の奥にまだ残っていた。そんな話に近い。
大人になってからの学習で脳の側に何が起きるかは、大人になってから英語をやっても脳は変わらない?で別に扱っている。
ここまでのまとめ: 意識の上で忘れていても、音の側には痕跡が残り、訓練で速く戻る例が複数報告されている。
食い違いの解き方(1):条件が違う——まるごと入れ替わったのか、痕跡が残っているのか

同じような境遇なのに、なぜ結果が割れるんですか?

分かれ目は境遇ではなく条件です。触れる機会がまるごと断たれたのか、細く続いていたのかで、研究の結果は変わります。
ここまでで、正反対の報告が並んだ。どう受け止めればいいのか。
まず気づくべきは、消える側も残る側も、似た立場の人を調べている点である。幼いころに別の言語環境へ移った人たちだ。
それでも結果が割れる。ということは、境遇そのものが分かれ目ではない。
分かれ目の一本目は条件である。
まわりの言語がまるごと入れ替わり、その後まったく触れる機会がなかった場合。この条件では、テストでも脳でも差が出なかったと報告されている。
一方、離れた時期や測る成分が変われば、痕跡が見える報告になる。
さらに、訓練という条件を足すと結果は変わる。訓練前は差がなくても、訓練後に差が出た報告があるからだ。
つまり「テストして思い出せるか」だけを見ると、残っているものを見落とす。
日本で学校英語を受けた人は、接触が完全に断たれた側にはいない。街の看板、音楽、仕事のメール、日常のカタカナ語。細くても、英語に触れる線は続いている。
しかも、学び直す機会は自分で作れる。この条件は、消える側の研究が扱った状況とは違う。
摩耗 (= 使わないうちに言語の力が少しずつ落ちること。しまい込んだ道具が錆びていくのに近い) の研究をまとめたレビューも、似たことを述べている。
摩耗の起き方は、年齢や熟達度や読み書きの力によって変わる。言語そのもの以外の条件が効くのである。
だから「使わなければ消える」も「使わなくても残る」も、単独では正しくない。
ここまでのまとめ: 結果が割れるのは条件が違うからだ。接触が完全に断たれたのか、細く続いているのかで話は変わる。
食い違いの解き方(2):落ちるのは「思い出して使う側」、残るのは「聞き分けと慣れ」

成分で違うって、どういう意味ですか?

英語を部品に分ける見方です。思い出して口から出す部品は落ちやすく、音を聞き分ける部品は残りやすいと研究は示しています。
条件のほかに、もう一本線が引ける。読者にとっては、こちらのほうが実利がある。
成分の線だ。
研究をまたいで見えるのは、次の傾向である。
- 思い出して口から出す側は落ちやすい (単語を取り出す、文法のかたちを組む)
- 意識しなくても働く側は残りやすい (音の聞き分け、文の並びへの慣れ)
聞いていただけの人に発音の利点だけが残り、文法には残らなかったという結果は、この線の上にある。
忘れたはずの音が訓練で戻るという結果も、同じ線の上だ。
摩耗のレビューは、この分野に「貯金」という考え方が持ち込まれたことを指摘している。
貯金 (= 学び直したときに短く済む分のこと。ゼロから積むのではなく、残高から再開するイメージ) という発想である。
長く使わなかった言語を学び直す研究も、この線に沿っている。問いは「消えたか残ったか」ではない。「取り出せるかどうか」に置かれている。
テストで答えられないことと、中身がなくなっていることは同じではないのだ。
だから「全部消えた」も「全部残っている」も外れている。二択そのものが間違いなのである。
倉庫の中身がなくなったのではなく、取り出す通路が塞がっている。そう考えると近い。
通路が塞がれば、外から見た結果は「何もない」と変わらない。だから実感としては正しい。
ただし、やるべきことは変わる。中身を買い直すのではなく、通路を開ける作業になるからだ。
ここまでのまとめ: 落ちるのは取り出して使う側、残るのは聞き分けと慣れの側。「全部消えた」も「全部残る」も外れている。
時間の物差しが違う:数日で単語が抜ける話と、10年20年の話は別物
ここで一つ、混ざりやすい話を分けておく。
「覚えた単語が数日で抜ける」という話は、学習の最中に1語をどれだけ保てるかを扱っている。その仕組みと復習の間隔については、英単語が1週間で消えるのはなぜ?|忘却曲線と復習のタイミングで扱った。
一方この記事が扱っているのは、やめてから10年20年たった言語まるごとの話である。
日にちと年。時間の長さが3桁ちがう。
短い期間の忘れ方をそのまま10年に伸ばすと、実際より暗い結論が出る。「毎日これだけ抜けるなら20年で何も残らない」という計算になるからだ。
しかし長い期間で測ると、その計算どおりにはならない。
学校でアイルランド語を学んだ生徒を追いかけた研究では、卒業から18か月後に力の落ち込みが見られなかった。
同じ研究では、その言語を使う機会そのものは全体として減っていた。使う機会が減ることと、力が落ちることは同じではない。
学校で習った外国語について、最長50年の保持を調べた古典的な報告もある。何十年たっても一定量が残っていた、という方向の結果だ。
自分の英語は、何日かで消える話ではない。まず、その時間感覚を直しておきたい。
ここまでのまとめ: 数日単位の単語の忘れ方と、10年20年の言語まるごとの話は別物だ。短い物差しを長期に当てはめると悲観に寄る。
では、自分の中に何が残っているのか——棚卸しの見取り図と、研究から言えないこと

結局、僕は何から始めればいいんですか?

まず見分けることです。残っている側と落ちている側を分けてから、取り出す練習に時間を寄せる。研究の並びはそう示しています。
ここまでを、自分の英語に当てはめてみる。
研究から言える方向は3つある。
- 音の聞き分けや文の並びへの慣れは、自覚がなくても残っている可能性がある
- 取り出して使う単語や言い回しは、落ちている可能性が高い
- したがって学び直しは、覚え直しよりも「取り出す練習」に比重が寄る
順番が変わる、というのが要点だ。
「全部ゼロから」と考えると、残っている側にも同じ時間をかけることになる。それは、開いている扉をもう一度作り直すようなものだ。
先にやるのは見分けである。何が残っていて、何が落ちているのか。
一方で、正直に書いておくべきこともある。
研究から「6年で何語残る」といった数字は出ない。個人差も大きい。摩耗の起き方は条件で変わると、レビュー自体が述べている。
日本の学校英語そのものを何十年も追いかけた研究も、限られている。ここまで引いた研究の多くは、別の国・別の言語の条件で行われたものだ。
年齢についても慎重でありたい。音の再学習には年齢の線が出た報告があるが、それは特定の課題での結果である。
もう一度やめてしまうのが怖い、という気持ちも現実的だろう。挫折の原因と再開の進め方については、英語をまたやめるのが怖い人へ|挫折の原因とやり直しの手順で扱っている。
6年は消えていない。ただ、取り出す側だけが錆びている。そう考えたほうが、研究の並びには合っている。
ここまでのまとめ: 残っている側と落ちている側を先に見分ける。学び直しは全部ゼロからではなく、取り出す側に寄る。
よくある質問
Q1. 学校で習った英語は、もう完全に消えているのでしょうか。
研究の答えは条件によって変わります。接触が完全に断たれた人ではテストでも脳でも差が出ませんでした。一方、痕跡が残っていた報告もあります。学校英語を受けた人は、接触が細く続いている側にいます。
Q2. 「忘れた」のに残っている、とはどういう状態ですか。
思い出して使えないのに、聞き分けや慣れの側は働いている状態です。訓練すると未経験の人より速く戻った例が報告されています。
Q3. 40歳を過ぎたら手遅れですか。
そう読める報告はありますが、条件が違います。40歳を超えると効果が見られなかったのは、幼少期に触れた言語の微妙な音を再学習させる課題でした。学び直し全般の判定ではありません。
Q4. 発音だけ残るなら、単語と文法は本当にゼロからですか。
ゼロとは限りません。長く使わなかった言語の学び直しは、初めて学ぶときと同じ地点からではないと扱われています。ただし、どれだけ戻るかの数値は研究からは示せません。
Q5. 自分の実感は当てにならないのですか。
落ちたという実感と実測がずれた報告があります。使う機会が減ったことを、力が落ちたことと取り違えている場合があるためです。
まとめ
学校で6年やった英語は、いま自分の中でどうなっているのか。研究の答えは一つに定まっていない。
使う機会がゼロになった人では、記憶テストでも脳の反応でも差が出なかったと報告されている。
一方、そばで聞いていただけの人には発音の利点が残り、完全に忘れたはずの音も訓練で速く戻っている。思い出せないのに脳が反応し続けていた例もある。
この食い違いは、二本の線で解ける。
一本目は条件だ。接触がまるごと断たれたのか、細く続いているのかで話が変わる。学校英語を受けた人は、後者の側にいる。
二本目は成分である。取り出して使う単語や文法のかたちは落ちやすく、音の聞き分けや慣れは残りやすい。
だから「6年は無駄だった」も「全部残っている」も、どちらも正確ではない。
学び直しの問いも変わる。何から覚え直すか、ではない。何が残っていて、どこだけ入れ直すのか、である。
そして時間の物差しを間違えないこと。数日で単語が抜ける話と、10年20年の話は別物だ。
まず、自分の中の残高を見に行く。やり直しはそこから始まる。
参考文献
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最終更新日: 2026-08-29
著者: 中村 拓(Taku Nakamura)(greencafe 編集部 編集責任者・非ネイティブ話者)。公開された 12 件の研究エビデンス(tier 1=12 / tier 2=0)を横断分析・再構成した。
画像: いらすとや (https://www.irasutoya.com/) より
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